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フィンランド旅行①:前書き [新しい記憶の整理]

25年前、4歳の息子を連れて約10ヶ月間世界旅行をし、26ヶ国を周りました。
その時、ケニヤに行き、ナイロビを拠点にしてタンザニアへサファリツアーに行きました。
その前年だったか??
夫が仕事でケニヤに行った時には、サファリカーでタンザニアへ自由に行き来できたようなのですが
私たちが行った年(1991年)にはそれができませんでした。
それだからなのか??
ケニヤからタンザニアに行くツアーは見つけられず
夫が旅行会社と数日間かけて交渉してナイロビ発のツアーにしてもらったのです。
ナイロビから行ったのは私たち家族だけでした。

まず、タンザニアのとの国境ナマンガまで、なんだかやけに陽気なナイロビの旅行会社の人2人と車で行きました。
1人が運転して、もう1人は助手席。
私たち家族3人は後ろの席に乗りました。

どういう風に陽気かと言えば、
マサイ俗の人が自転車に乗っていると
「自転車マサイだ~!」
とか言って、2人ですごい盛り上がるのですよね。
シマウマが交通事故に遭って、道で死んでいたりすると
それをスイスイと避けて、
なんだかまた2人でしゃべって盛り上がっているのですよね。
とにかく2人でず~~っと何かしゃべっている感じでした。
その道は普通の道路なのですが、道の向こうにダチョウやキリンが歩いているような所でした。

国境のフェンスの向こうにタンザニアの旅行会社の人が迎えに来ていて、
(金網なので見えました)
私たち家族だけが入国審査の場所を通ってタンザニアに入りました。
今思えば、このケニヤとタンザニアの旅行会社はまったくの別会社のようでした。
こちらの意向がうまく伝わっていないということが、山ほどありました。
そもそも、いろいろなことについて、わりにテキトーなのです。

さて、タンザニアの旅行会社では、このツアーに参加する人を別に募ったようでした。
アルーシャの事務所にて同行する3人に会いました。
そのうちの1人はドイツ人の青年。
ほかの2人がフィンランド人のカップルで、今の友達です。

旅行会社からの同行者は現地から2人。
ジョンという運転手さん。すごい寡黙な青年。
ハンフリーというコックさん。たぶん10代の少年。
計8人で1週間くらいタンザニアのサファリパークを周りました。
私たち家族は「ラグジュアリー」というツアーで、ロッジに泊まりました。
他の3人は「キャンピングサファリ」というもので、ハンフリーが3食を作り、テントに宿泊するのです。
お昼など、皆で外で食べる時には、私たちのランチもハンフリーが作ってくれました。

さてさて、その10ヶ月の旅行の間、いろいろな人に出会って、住所の交換などをしたのですが
バルセロナで夫のバッグが盗まれてしまい、カメラ、航空券、夫の旅行の記録、ほとんどの人の住所は無くなってしまいました。
バルセロナオリンピックの年です!
その当時、夫のいとこがローマで生活していたので、そこで義母と合流して、ここを拠点にヨーロッパを巡っていたのですが、バルセロナからローマへの帰り道はすごく悲しすぎて、電車に乗っていても、ついつい涙がこぼれてしまいました。
盗難届を出しに行ったら、ローマで盗まれたと言えと言われて、そうしました。
航空券はローマで再発行してもらえたので大丈夫でした。
盗まれた物は、何ひとつ見つかりませんでした。
夫はローマで新しいカメラを買いました。

日本に帰って来てから、先に手紙をくれたのは、このフィンランドの友達だけです。
彼女はわりに筆まめなのです。
彼女から一緒のツアーだったドイツ人青年の住所も教えてもらったので、しばらくは手紙を出したり、メールを出したりしていたこともあったのですが、それも続かなくなってしまいました。
続いたのは、このフィンランドの友達との関係だけです。
その後、彼女たちが養子に迎えた、アフリカの血が半分流れる娘ちゃんは今日本にいて、
洋裁を勉強中です。
この娘ちゃんが日本が大好きになってくれたおかげで、20年ぶりに友達と会える事になり
それから毎年のように日本に来てくれているから、仲良くなることもできて、
昨年、一昨年と諏訪の友達の所にも泊りがけで一緒に遊びに行く事ができました。

諏訪の友達が海外旅行好きだったことで
「フィンランドに行こう!」
と言ってくれたので、私にもエンジンがかかりました。
正直、私は海外旅行の手配などは全くできません。
数年前、フィンランドの友達が50歳の誕生日をやるから、宿の手配をしてくれるからと、かなり誘ってくれたのですが、行く気にならず、あれこれ理由をつけて断ってしまいました。
彼女は私のことを「旅行恐怖症」とまで言っていました。
私は日本では活発でけっこう1人で行動する方だから、
自分で自分のことを「ブレイブ」と言い切り、いろいろな物に好奇心旺盛な彼女には、
私の臆病さは理解できないものだったのではないか、と思います。

今回、旅行の手配はぜ~~~んぶ諏訪の友達がやってくれました。
完璧なフライト。
完璧な宿選びでした。
感謝。

いろいろな人とのつながりが切れず、新たなつながりができ、それが強くなったことで、実際に行くことができて、ほんとにほんとにラッキーでした。

というわけで、6月17日(土)11時、FINAIR ヘルシンキ行きに搭乗しました。
25年ぶりの海外旅行です。
s_DSCN1410.JPG
右の一番上に、フライト情報が見えます。

おまけ:
s_DSCN1409.JPG
成田で食べた朝食。
向こうに友達が食べた朝食が見えます。
これから、外国に行くので彼女は白米と何か、和食の物。
手前は私の朝食です。
朝から白米を食べるのはちときついっす。

つづく。


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